頭取インタビュー

2015年12月 創業家一族以外の頭取誕生から5年、新たな頭取を迎える福井銀行。混沌とした世の中に漕ぎ出した“ 林号”の羅針盤が指す方向には、これまで福井銀行を支えてきた創立時の思いを寄る辺としながら、福井という地域の幸せと、伸び行く企業が目指す未来の光がある。

理解してから、
理解される。
それが自信になる。

20歳で父親を亡くし、
ポジティブ思考に

学生時代から商売に興味があって、モノやサービスの流れを扱う商社マンに憧れていました。金融もモノやサービスの裏側にはつきものの業種。働くなら商社か金融かなと思い、商社と都市銀行の内定ももらっていたんですが、20歳のときに父親が亡くなったこともあり、福井に帰ることに決め、福井銀行に入行しました。

最初に配属されたのは神明支店。その後、新宿支店に異動しました。入行した当時はバブル真っ盛りで、新宿支店にいたときは日米会話学院に送り込まれて英語の勉強をしていました。当時はそこから海外支店に行くルートがあったんですが、ちょうどその頃にバブルが崩壊。福井に戻ることとなり、その後は企業の経営再生を担当する道を歩むことになりました。

30代の頃から企業再生に携わるなど、普通の銀行員の異動とはちょっと違った道でしたが、今の学生と違って、たいした企業研究もせずに入行したので、銀行員の仕事に特段のイメージは持っておらず、 与えられた仕事を一生懸命やろうとポジティブな気持ちで取り組んできました。人からはよく、ポジティブだと言われますが、私のポジティブ思考は、父親が早くに亡くなったことが影響しているんじゃないかと自己分析しています。若くして父を亡くしたことを可哀想と思ってもいいのに、私は神様からの「頑張れ」というメッセージだと受け取ったんですね。異動も「自分が必要とされているなら」と前向きに受けとめて、企業支援をはじめとする様々な業務に取り組んできました。

相手を理解するために、
出向先でレジ打ちも経験

これまで担当した仕事の中で印象に残っているのは、最近だと福井駅前再開発ですね。 私自身順化小学校出身で昔から馴染みのあるエリア。当行は再開発組合の事務局に人員を派遣しており、私自身も権利者の合意形成に向けた話し合いに参加しました。権利者のみなさんが、それぞれにいろんな思いを持っていらっしゃる中で、ご理解をいただくのは大変なことでした。

企業再生を担当した時から交渉事をする上で私が大切にしてきたのは、「エトス」、「パトス」、「ロゴス」です。まず大事なのが、「エトス」。信頼をしっかり得ることです。「パトス」は情熱をもってしっかり相手を理解すること。最後は「ロゴス」。相手に理解してもらえるよう、ロジックでしっかり説明します。

このような考え方は、企業再生の仕事をしていくなかで形成されていきました。経営者はみなさん、それぞれに自分なりの考えをしっかり持っています。私はサラリーマンでしたが、企業再生を担当するときは経営者のつもりで関わり、自分自身の考えも築き上げていきました。

様々な業種の企業に出向もしました。たとえばサービス業。銀行員は理屈でモノを考えますが、サービス業は、 五感に訴えて照明やBGMなどの演出を工夫する。銀行だけでは学べなかったマーケティングを実地で体験できました。小売業ではレジ打ちも、店頭販売も行いました。これをすることで会社がよくなるわけではありませんが、やることで従業員と目線を合わせる。相手を理解しようとすることで、「この人は私たちの味方なんだ」と思ってもらう。最後には厳しいことも言うんですけど、「この人についていけば、いい方向に行くんじゃないか」と信頼してもらわないと始まらない。これが「エトス」です。

銀行員は理屈から入りがちですが、それは決して近道ではありません。仕事柄、審査、財務分析をしなければならないから、銀行員の多くはどうしても評論家的な思考回路になりがちです。でも、評価しようとして話を聞いているのか、 理解しようとして話を聞いているのかは相手に伝わります。 まずは、相手を理解してから理解されること。これは私が経験から得た座右の銘です。

銀行としては、業績が悪い会社は倒産はやむを得ないという意見が出ることもあります。一方、私は再生が可能だと考えている。そういうときには、銀行内での論争に勝たなければなりません。この会社は5億融資したら助かるかもしれない。だけどその5億でも再生できないかもしれない。再生はリスクを伴いますが、今ある会社を倒産させずに再生することは、結果的に何百人もの従業員の働く場所を守ることにもなるわけですから、これ以上のやりがいはありません。

福井の経済を成長させ、
地域を豊かにしていく

頭取になる覚悟を決めたのは、2020年5月に取締役兼代表執行役常務となり、銀行を代表する一人となったとき。 これまでと同じではダメだと思い、頭取目線で2年間を過ごしました。頭取就任の打診は思ったより早かったので戸惑いましたが、家に帰ってじっくり考えるうち、今まで頭取目線でやってきたことは、 所詮目線でしかないなと。やるなら目線ではなく、その立場に立ってやらないとダメだ、 と、一晩でポジティブな気持ちに変わっていました。もはや逃げられないなという気持ちです(笑)。

福井銀行では2015年に理念体系を整備しました。そのとき制定した「地域産業の育成・発展と地域に暮らす人々の豊かな生活の実現」という理念は、私が頭取になって以降も変わることなく引き継いでいます。一方で、店舗のあり方や業務の進め方は変化しています。本店ビルは新社屋になったのを機に、5・6階のフロアの壁をなくしました。 昔の銀行はセクションごとに仕事をしていましたが、今は経営課題も大きくなり、組織を横断して取り組まないと解決できないことも増えています。各部ごとに部屋があるのではなくワンフロアにすることで、諸事にスピーディに対応できるよう改善。デスクもフリーアドレスにし、ミーティングスペースを多く設けるなど、今の働き方にマッチした環境を整えています。

融資や決済は銀行の仕事のほんの一部に過ぎません。私たちの使命は、お客さまの課題を解決すること。真の経営課題を解決したいという思いから、人材紹介や観光地域商社など新たな事業展開にも取り組んでいます。メガバンクと違って、福井銀行は地域で成すことが全てです。福井の経済を成長させていくことが我々の役割です。高度経済成長時代は資金需要を選別して融資していたこともありましたが、低成長時代は、地域経済自体の成長に金融機関自らが取り組んでいかなければなりません。我々のなすべきことは、足元である福井の地域経済を豊かにすること。今後は、地域のお客さまから信頼と感謝をいただける銀行をめざすとともに、それを業務にもつなげていけるよう努めていきます。

仕事の責務を果たすため、 健康にも気を付けています。 ときには肩の力を抜いてリラクゼーションする時間も大事です。プライベートではサウナが好きで、最近、銀行内に「サ道部」を作りました。部員は約10名。例会と称して近場でサ活を楽しんでいます。

学生時代、陸上で中距離をやっていたこともあり、「ふくぎん酔走楽部」の部長も務めています。こちらの部員は30人くらい。福井のリレーマラソンではユニフォームを作って参加しました。今は休部中ですけどね。実は飽き性なんです(笑)

私には個人的なミッションステートメントがあります。「自分が関わる人々、組織のニーズを深く理解し、その実現に向けて、誠実に情熱を持って貢献することにより、自制心を養い、人格・能力両面において成長する。」というものですが、人格・能力両面の成長という意味で、頭取という仕事はこれ以上のステージはないと感じています。

Eiichi hasegawa
1964年福井市生まれ。
藤島高校を卒業後、神戸大学経済学部に進学、株式会社福井銀行に入行。(1988年4月入行、2020年5月取締役 兼 代表執行役常務、2021年取締役 兼 代表執行役専務を経て2022年6月取締役 兼 代表執行役頭取に就任)
学生時代は陸上競技に打ち込み、元県高校記録保持者の実績も。現在の趣味はサウナ。

(月刊URALA STYLE 1月号)